2020-12-15

本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺(くたいじ)と呼ばれる浄瑠璃寺です。

浄瑠璃寺 馬酔木と猫奈良市内の仕事を早々と終えて、浄瑠璃寺にお詣りします。早春の馬酔木がほのかに香るなか、人懐こい猫が寄ってきます。全く恐れることもなく、頭をなでると、コロンとひっくり返り甘えてきます。今日は天気も良かったので、猫も馬酔木の...

衣笠山地蔵院、臨済禅宗の寺

窓国師を開山とし、伝教大師の作といわれる延命安産の地蔵菩薩を本尊としている。市バスの鈴蟲寺の停留所為から横の路地でこれが地蔵院に向かう石段です。竹の寺地蔵院 一休禅師一休禅師が幼少期を過ごしたお寺です。別名「竹の寺」でも有名ですね。秋の一番...

妙徳寺 華厳寺(けごんじ) 通称鈴虫寺

鈴虫寺 かぐや姫竹御殿鈴虫で有名な華厳時にお詣りします、京都市営バスで鈴蟲寺の終点で降りると、目の前の「かぐや姫竹御殿」の看板が目につきます。これは故長野清助(竹工の名人)が1950年に金閣寺が焼失したことを悲しみ、再建を祈願して作った個人...

熊野若王子神社から新島襄のお墓

さてさて、熊野若王子神社の神主さんに聞いて、山道20分ほどのところにあるという、新島襄先生のお墓に参りたいと思います。私は立命館なので関係はないのですが、私の時はまだ広小路学舎があり、年に数回同志社の学食を食べに行きました。その頃の立命の建...

京都16社朱印めぐり。八坂さんから知恩院、青蓮院門跡を抜けて粟田神社まで行きます。

知恩院の三門京都市内のど真ん中のの3社参りになるので、駐車場のことを考えて、今日は阪急四条河原町まで行き、八坂さんから知恩院、青蓮院門跡を抜けて、粟田神社に向かいます。京都の朝散歩として歩いていきます、現在四条大橋で時刻は9時半で、観光客は...

寂光院は天台宗の尼寺で、山号を玉泉寺、建礼門院ゆかりの寺

寂光院とは天台宗の尼寺で、山号を玉泉寺といいます。 推古2年(594)に聖徳太子が用明天皇の菩提を弔うために建立されたといわれています。大原寂光院 火災により焼失鎌倉時代の旧本尊は平成12年の火災により焼失したので、文化庁の指導により修復さ...

京田辺市 酬恩庵一休寺 一休禅師

当初の名称は「妙勝寺」鎌倉時代に臨済宗の高僧大應国師が建てたのが始めです。一休禅師が1455年、師の恩に報いる意味も含めて「報恩庵」と名付けたそうです。一休禅師が亡くなるまでこの寺で晩年を過ごされたことで「一休寺」の通称が知られるようになり...

節分祭|厄除け発祥の神社 吉田神社

吉田神社 駐車場は無料京都市内百万遍での仕事です、今日も無事終了しました。季節が違いますが鬼が来ないように、吉田神社にお参りして帰りたいと思います。無料の駐車場からは吉田神社の鳥居を眺めます。京都では珍しく駐車料金が無料でしたが、たぶん節分...

西国第十五番霊場・新那智山今熊野観音寺

今日は京都市東山区 今熊野観音さんです。今熊野観音 熊野三山熊野権現または熊野大神とは熊野三山に祀られる神です、本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想のもとで権現と呼ばれるようになりました。といわれても何のことかわからないので まずは権現の意味で...

御寺泉涌寺(みてら せんにゅうじ)女性必見のパワースポット

歴代の天皇や皇后の位牌が安置されているため、10月29日に天皇陛下が即位されたことを報告する法要が行われました。京都で好きなお寺ナンバー1です。2番目は安楽寺宣伝が少ないのか、観光客も少なく静かな寺です。このお寺はもともと歴代の天皇・皇族の...

天台宗 京都大原三千院門跡

京都大原千院です、一度は訪れてみたい寺ですね。この大原の里にある三千院は、私的には秋の稲刈りが終わったころの稲穂を燃やししている煙が澄み切った青空にまっすぐに登っていく様子が最高ですね。はるか昔、学生の頃にその景色に遭遇し、最高でしたが男友...

大亀山 宝厳院 – 臨済宗大本山天龍寺塔頭寺院

宝厳院 「獅子吼(ししく)の庭」天竜寺から嵐山の桂川沿いをチョット北に歩いていると、かの有名な京都吉兆があります。ここでチョット昼飯。作業服で昼飯2万円はあまりにもかけ離れていますし、予約も入れていないのでスルーします。でも一度は訪れたいと...

京都 額縁庭園の大原宝泉院、水琴窟、五葉松、血天井が見どころ

今日は大原宝泉院です。京阪バスの横の駐車場に車を置いて、ボリボリときゅうりを食べながら登ります。三千院の門を右に見ながらスルーします。大原宝泉院 三千院の横です下の写真は実光院です。外から見るだけでここもスルー。大原 勝林院勝林院も外から眺...

京都市嵐山の天龍寺 臨済宗の禅刹

今日は嵐山の臨済宗天龍寺を尋ねました。天龍寺のHPからですが、天龍寺は足利尊氏を開祖とし、夢窓疎石を開山として開かれた寺だそうで、その目的はご後醍醐天皇の菩薩をとむらうため暦応2年(1339年)に夢窓疎石が足利尊氏に進言し、光厳上皇の院宣を...