熊本県天草四郎ミュージアム

熊本県天草四郎ミュージアム 九州地方

天草・島原の戦い

熊本県天草四郎ミュージアム

今日は天草の先にあるところでの仕事です。
朝早く国道266号線沿いの上天草物産館でトイレ休憩です。トイレを終え、山手のほうを見ると天草四郎ミュージアムが見えたのでちょっと寄り道をします。

写真は天草四郎の銅像
伝説と謎に包まれたわずか16歳の少年
天草四郎を中心に繰り広げられた信仰の戦い「天草・島原の戦い」。
ここ天草四郎ミュージアムでは「天草・島原の戦い」の歴史的背景及び南蛮文化の影響を受けた当時の模様を資料と映像によりわかりやすく紹介しています。天草四郎の真の姿と民衆の熱き思いを今に伝える体験的テーマ館です。

わずか16歳の少年の名は益田四郎 時貞

天草四郎といえば島原の乱が有名です。正式な名前が「益田四郎 時貞」です。ただ出生の詳しいことはわかっていないそうです。名字があることは武家の出ではないのでしょうか??

宣教師ルイス・フロイス

キリストの洗礼を受けていて”フランシスコ”の洗礼名はあります。
容姿端麗で幼少のころから優秀で、イエス・キリストのように奇跡をおこしたともいわれています。
そんなことで島原一機の総大将として擁立されました。ただこの時はまだ16歳、子供ですよね。
この当時のキリスト教は死後天国に行けるといった信仰が深く、このため悲惨な結末が多いのでしょう。 
織田信長の一向一揆も似たような感じですね。
島原の藩主・有馬晴信と宣教師ルイス・フロイスとの間で領内にある寺社仏閣の破壊とキリスト教への改宗、そして鉛と硝石の提供が約束されたのです。それでキリシタンたちの布教が激しくなり衝突が起きました。
これを機に徳川幕府のキリシタンへの弾圧が始まったのです。

1639年鎖国政策

 1614年徳川家康はキリスト教の禁教令を布告し、キリスト教宣教師の国外追放を始めました。元の藩主有馬晴信は策略にあって藩主を追われ、新しい藩主のもとで過酷な年貢が始まり、年貢を納めないものには生きたまま火あぶりにしたそうで、この辺から島原の地獄が始まっていきます。1638年徳川幕府は総勢12万の大軍で、一揆勢3万7千に対して総攻撃をかけました。原城では籠城をはかり抵抗したのですが、数カ月に及ぶ籠城の中、
1638年2月27日に幕府軍は一気に総攻撃をかけて籠城していた女子供も含めすべての人々を惨殺して
この時に天草四郎も斬首されています。 そしてこれを契機に徳川幕府は1639年鎖国政策をとるようになりました。簡単にまとめすぎたかな!現地に行ってその背景と史実を見学しながら勉強してください、面白いですよ。

約300点のキリシタン資料

これが天草四郎ミュージアムですが朝早かったので、入館はできませんでした。 2019年4月21日にリニューアルしたそうです。約300点のキリシタン資料などを展示しています。外から見ると、天草の風土に合わせたようなクリーム色の壁が少し華やかで、しっとりした落ち着いた感じが出ています。天草は天草五橋、キリスト教寺院など数多くの観光名所があります。私もこれは最高の寄り道だと思い、写真をバシャバシャと撮ったのですが、HDが壊れてしまい復旧できませんでした。ある有名メーカーに修理依頼をしたのですが見積りはなんと21万が最低ラインで、最高は天井知らずなので諦めました、これ以外の写真は今回は無しです。警察の科捜研などに知り合いがいればいいのですが??

天草四郎ミュージアム アクセス

天草物産館は道の駅でもないのですが、トイレもきれいです。たぶん観光客相手の施設なのでしょう、駐車場もかなりでっかい!

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