出島と鎖国政策

1571年ポルトガル船が入港して以来、長崎は世界の都市として発展しますが、
キリスト教の教えに危機感を抱いた幕府は弾圧をはじめ、
鎖国政策をとっていくのです。

西洋との貿易は幕府にとっては魅力的だったので、
この長崎の「出島」の一か所に収容して、
貿易は続けながらキリスト教の教えを防ぐことにしたのです。

それでも島原・天草の一揆が起こり、
平戸にあったオランダ商館を出島に移しました。
以降幕末まで「出島」は日本とヨーロッパの唯一の貿易地になったのです。

出島 幕末まで日本とヨーロッパの唯一の貿易地
この出島は、島原・天草一揆が起こり、1639年にポルトガル船の来航が禁止されると、平戸にあった商館はこの出島に移されることになりました。それ以降は幕末まで日本とヨーロッパの唯一の貿易地となったのです。
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