鹿児島県 海上自衛隊 鹿屋航空基地

鹿児島県 海上自衛隊 鹿屋航空基地 九州地方
鹿児島県 海上自衛隊 鹿屋航空基地

神風特別攻撃隊の出撃基地

九州南端の鹿屋の海上自衛隊鹿屋航空基地です。
神風特別攻撃隊の出撃基地です。
神風といえば知覧の基地から出撃したことが有名ですが、
実はこの鹿屋からも多数の神風特攻隊が出撃しています。
映画では冨屋食堂のおかみさんと一緒に食事をしたり、恋人と会ったりしていた知覧のほうが有名ですね。
この冨屋食堂は今でも冨屋旅館として営業しています。
ここには現役を引退した飛行機等が多数、外の庭に展示しています。
中には入ることはできないのですが、触ることができ、目の前でその大きさを実感できます。
庭が広くとってあり、子供さんが走り回っても大丈夫です。

飛行機に興味ある子供たちには大興奮ですね

鹿屋航空基地 入館料は無料

鹿屋航空基地資料館に入館します。入館料は無料です。無料の割にはかなり大きく、きれいです。知覧については、まだ行ったことはないのですが。この資料館は静かです。
私以外に4人ほどしか入館していませんでした。
真珠湾攻撃、山本五十六大将、はては日露戦争の連合艦隊の
三笠艦橋での東郷平八郎大将の有名な絵もありました。

錦江湾と吹上浜の海底から引き揚げられた零戦

2階に上がると、零戦があります。
広島の「大和ミュージアム」にもありましたが、ここも勇壮な姿ですが、
さすがにこの鹿屋で見る零戦をただ”カッコイイとは口幅ったいものです。

この部屋にある手記を読んで、
零戦に乗って出撃していった若い飛行機乗りのことを思うと言葉が出ない。
現実にこの零戦は特攻に使われて平成4年2機の零戦が錦江湾と吹上浜の海底から引き揚げられた2機を1機にして修復をしたものです。
白黒で違う方向から撮りました。

この操縦席を見ると、全く鉄のイスです、こんな固い椅子に何時間も座って、
暖房もない操縦席でひたすら”死”に向かっていく、
そして護衛機の目的は無事特攻として任務を果たしたかどうかを確認するものですので、
鼻から護衛の意味は全くなかったのです。

実際護衛機に乗った飛行士も後で特攻に駆り出されています。

でも特攻で死んだ者、そして残ったもの、命令を下した者、それぞれ色々な思いを胸に墓場まで持っていたのでしょう。

本当にきれいに整備されています。
自衛隊の方も整備されるときに感慨深かったのでしょう、
だからここまできれいに整備されたと思います。
計器など今にも動きそう、
操縦席の中心にある透明のガラスと前にある十文字の標準機はきれいに磨かれていて
今でもその精密さを見ることができます。

鹿屋航空基地 特攻の零戦

この資料館の奥には神風特攻隊の隊員の実物の手記、
写真などが展示されており
静かに手記を読むことができます。
なんぼ国のためとは言え自分の命を簡単に捨てることができた、
いや本当に簡単に捨てることができたのでしょうか?
そこまで色々な葛藤があったと思うし、
人間ですし又10代の青年です。

実際にこの鹿屋に来て実物の手記を読んで、どのように考えるかは人それぞれですが。
「戦争」又「死」といったことを考えるきっかけになると思います。
同じ日本人です、何のために死んでいったのか、
そのあたりを自分の心に手を当てて考えてみたいと思います。

この写真以外は撮影禁止になっており。
鹿屋まで来て実物をご覧になるのがいいと思います。
ちなみに映画などで有名な知覧は錦江湾を挟んで対岸になります。

鹿屋航空基地 芙蓉部隊

芙蓉部隊です、美濃部少佐が指揮をとり、夜襲を主戦法とした部隊です、
一説では特攻を逃れるための部隊としてもあるそうですが、
実際にはそのようなこともなく、多くの自発的特攻による戦死者がたくさん出ています。

特攻だけを目的とした部隊でなく、夜間を主にしたプロの集まりのように感じます。
もう少しゆっくりこの資料館にいて手記などを詳しく読んでみたかった。

鹿屋には日本最大のバラ園を筆頭に神武天皇の父母の陵墓の吾平山上陵、
荒平天神があります、又温泉の多数あるので、こちらの方にも足を延ばすことをお勧めします。

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