大分県臼杵市の掻懐の切支丹墓(かきだきのきりしたんはか)

大分県臼杵市の掻懐の切支丹墓(かきだきのきりしたんはか) 九州地方
大分県臼杵市の掻懐の切支丹墓(かきだきのきりしたんはか)

今回は臼杵の石仏から離れていないところに、隠れキリシタンの墓があるということで訪れます。

掻懐の切支丹墓 大分県の指定文化財

臼杵の石仏から車で5分もかからないところです。
車のラジオから大分臼杵市の隠れキリシタンの話題が流れていたので、これを訪れなければチョット寄り道ではなくなるので遠回り。

大友宗麟とキリスト教

大分県の指定文化財です。
1562年に大友宗麟が府内から臼杵の丹生島城(臼杵城)に移ったことにより、
府内のキリシタンたちが移り住んで来て、臼杵にもキリシタン教界が誕生し た。
1565年には宗麟により海辺の土地が与えられて修道院が建てられた。
さらに1580年にはノビシアド(修練院)が設立され、1582年には立派な教 会も建てられた。

掻懐の切支丹墓 かなりわかりにくい道です

道案内が少ないので、詳しく説明します。
臼杵の磨崖仏を出て国道502号線を左折します
そこから約5分程田舎道をゆっくりと走ります。
左側に生コンの工場が見えてきます その工場の手前のバス停の横に小さな看板がありそこを左折です。

道なりに10mほど行って左にカーブします、
道幅は田舎の狭い道で今にも朽ち果ててしまうような木製の看板があります。

その辺にとりあえず車を置いて歩きます、
左側に神社が見えますがその神社はこの村の鎮守さんのようです。

神社の鳥居を左に見ながら少し登るとすぐ先の反対方向に木造の東屋風の建物が見えます、そこが目的地です。

普通の村の中のお墓の中にある切支丹墓

ここが掻懐の切支丹墓です、普通の村の中のお墓の中です。
ここにキリシタンの墓があるとは思えないところです。

ラテンクルスが彫り込まれてい 見事な十字架が彫られた2基の墓は
名前や洗礼名、没年月日は記されていないが、
ともに立派な墓であることからある程度の身分のキリシタンではないか?
十字架がはっきりと彫られています
これだけはっきりと十字が彫られているのは珍しいですよね

当時は宗麟がキリスト教の布教を許していたので、
キリスト教関係の施設があったことは当然だと思うのですが。

そこから時代は色々な迫害が始まりキリスト教にとっては冬の時代になっていきます、
このような形で存続されたことは、
地域の人たちの篤い信仰によるものでしょう。
周囲には9基のキリシタン墓があるそうですが、わかりませんでした。

ラテンクルスが彫り込まれている

半月型の周辺に沿って弧線を刻入し
中央に幅2.4cm、深さ0.6cmくらいの彫りで
ラテンクルスを雄けいに表しています。
その長さは横に18cm、縦に31cmあります。
長方体のものです。軸部の上尾から尾端までの長さはおよそ1.09mあります。
軸部の下方に櫛型をなした厚さ30cmの造出があって
これを基壇として力強くラテンクルスが彫り込まれています。

隠れキリシタンのお墓

よくこのようなお墓が残っていたと思います。隠れキリシタンのお墓はよく見ないと、
わからないものがありますが、このお墓は毅然としていました。

キリストのお墓が青森にありました、また木曽の山奥にも隠れキリシタンの石仏がありましたが、
どちらも何気なく見ていたらキリスト関係とは思えないようなものです。

今回はこれでおしまい。

キリスト関連の土地を見て回るのもいいものですね。
特に迫害の多かった地方ではひっそりと山の中にあるようですね、今度は山口の隠れキリシタン関連の場所を訪れたい。

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