宮崎県 えびの高原の白鳥神社

宮崎県 えびの高原の白鳥神社 九州地方
宮崎県 えびの高原の白鳥神社

今回は宮崎の仕事に行く途中ですが、帰り道でなく仕事前にチョット寄り道をしながらのドライブです。かなり遠回りですが、えびの高原から霧島神社によって宮崎に入ります。えびの高原から霧島に向かう途中で、立派な山門と杉を見かけたのでチョット寄り道です。

実は大きな勘違いをしました。
この山門をくぐり石段を進むと本殿があったのです。
わたしゃー、あまりに立派な山門と杉があり、
その横に祠があったのでこれで完結と思い込み、お参りはここでENDです。

なんとマー、バチあたりな、愚か者が! 杉の木の下の看板がちゃんと書いてあるではないか、
「本参道はここより社殿まで石段が210段あります、どうぞ一段一段踏みしめてご参道ください」
とそれを見てないわけではあるまい。
多分、心の中で、霧島神宮に行くのだから、小さいところはパスとでも思ったのか。
いいわけですが、時間もかなり早かったので8時ごろだったと思います、
あまりにも早いので迷惑かなと思ったりもしました。
(そんなに早いことはないだろうー)

なんかこの頃。本当に必ずバチが当たるような気がしてきました。 

このブログを書きながら宮崎のほうに向かって手を合したところです。方向音痴なんで向いている方向があっているのかどうかはわかりませんが。

白鳥神社 白鳥温泉

このすぐ近くに白鳥温泉があります。江戸時代には寺院の僧侶たちが入浴したといわれております。この白鳥神社は約1500年前に性空上人により創建され、樹齢500年の御神木など10数本の古木がそびえたつかなりの古刹であります。性空上人が白鳥山頂六観堂で修業をしていた時に、老翁があらわれ「我は日本武尊なり、来りてこの山に住む事久し、汝我がために神社を設けよ」と宣託、たちまち白鳥に化して飛び去った。とのいわれがあるそうです。
日本武尊(やまとたける)が現れてこの神社は軍神としてもあがめられることになり、島津家に崇敬されるようなりました。

このように日本武尊が白鳥に化けて飛び立つようなことを権現といいます。京都の今熊野さんにも出てきました。

白鳥神社 東大寺の造営

この白鳥神社のアカマツの巨木が奈良の東大寺の造営の虹梁(こうりょう)として使用されました。寺社建築では虹梁は装飾的な梁のことで、虹のように緩やかに湾曲した形状といわれています。昔の人はロマンチックですね、武骨な梁を虹の梁と言い換えることがステキです。

東大寺のHPにも出てきます。1702年日向国小林に住む園田清右衛門が白鳥神社境内の2本のアカマツをみいだし、薩摩藩と奈良奉行から公慶上人に報告し、公慶上人が早速現地に飛んで確認すると、高さ45mもあり、曲がりも虫食いもない良材であることが確認されたそうです。

ここから切り出して、奈良まで運ばなくてはならない、その当時日通もクロネコヤマトも当然佐川急便もありません。大変な苦労があったのです。そんな苦労を全く知らずに、そのまま無視して私は通り過ぎてしまいました。誠に申し訳ないと思っています。いつか東大寺に行ったらこの虹梁なるものをしっかりと見てきます。その時に公慶上人のことも詳しく説明する予定です。

実は私が本堂と勘違いしていたのは、この白鳥神社末社 水分神社(みくまりじんじゃ)でした。これはちゃんと写真に撮っています。最も湧水量が多いこの地に水分神社を創建したとのことです。看板に書いてあるようにこの「みくまり」は「みごもり」と転化(変化)し、今では子宝の神様として信仰が篤いそうです。
ウヘ!!

本堂にも訪れていない自分がこれ以上この神社の由緒を調べるのが嫌になってきた。

白鳥神社

かなり古い狛犬?様が鎮座していたのすっかり勘違いして奥まで行かなかったのです(いいわけですが)。
でもこれは狛犬でもなさそうです、一度調べる必要があります。

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