熊野若王子神社 哲学の道
京都16社朱印めぐり。熊野 若王子神社 13回目
哲学の道の最終の若王子橋を渡って少し山道を登ります。山の中で四季折々の花がきれいに咲くところだそうです。
熊野若王子神社 京都三熊野
後白河法王が永暦元年(1160)に熊野権現を勧請したのが始まりで、
熊野神社・新熊野(いまくまの)神社とともに京都三熊野のひとつに数えられる。
ここは銀閣寺からも哲学の道を歩いてくればそんなには離れていないところです。
昔は、それもかなり昔の室町時代に足利尊氏・義政が桜または紅葉などをめでる宴を開いたともいわれています。
熊野若王子神社 安楽寺
この道ぞいに安楽寺があります。秋の安楽寺は最高です!
但しこの辺りの駐車場は高い。
できればバス又は三条から歩いてくるのもおつなもんです。
実は歩くのもそんな時間はかかりません、大きな通りを歩くより、横道もしくは裏道をを歩くと色々な風情を楽しめます。
エ!こんなところにあのお寺が!なんていった感激がありますよ。
熊野若王子神社 駐車料金は高い
この哲学の道の初めに銀閣寺があります、
春には桜がこの小道を彩ります。ゆっくりと歩いて京都の風情を楽しむには最高のところですが、
観光客がかなり多いのが玉に瑕で、
でもこの最終の若王子橋まで足を延ばしたことはありませんでした。
逆にここから銀閣寺まで歩いていくのもいいもんではないでしょうか。
熊野若王子神社 小さな石橋
若王子橋を渡ってすぐに、目的の熊野若王子神社の石橋が左手にありますので、 石橋をたたきながらわたります。
小生も非常に小心なもので、長さ3mにも満たない石橋をたたいて渡りました。
他の人が見たら”バカじゃなかろうか”と思うかもしれませんが。
熊野若王子神社 永観堂の守護神
1160年後白河上皇が紀州熊野権現様を観請して創祀した永観堂の守護神だそうです。
そういえば熊野神社は聖護院門跡の守護神でしたね。
祭神は、国常立神(くにとこたちのみこと)、伊佐那岐神(いざなぎのみこと)、
伊佐那美神(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)となっているので、
学業成就、商売繁盛の信仰がある。授与品は梛守(ナギの葉が入ったお守りは、悩み、災いをなぎ倒す、なぎ祓う)、交通御札、子供御守などが授与される。
熊野若王子神社 平徳子の安産祈願
1178年、高倉天皇皇后・平徳子の安産祈願をした、神社41カ所の一つとして「白川熊野」と記載されているようです。
平徳子といえば平清盛の娘で、高倉天皇の御正室で安徳天皇の生母です,このブログにも何回も登場する有名人です。 山口の赤間神宮で壮絶な最後を遂げた安徳天皇。そして京都の大原の建礼門院として寂光院で仏門に入った。色々あるお方です。
熊野若王子神社 狛犬
熊野若王子神社 八咫烏
元々熊野三山に祀られる熊野十二所権現のうちの五所王子の第一位である若一王子で、
天照大神あるいは瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と同じに見られたそうで、
熊野那智大社では第五殿に祀られています。
現在は「若宮」と称し天照大神のこととされているそうです。
熊野若王子神社 「右近の橘」
神社では「右近の橘」については何も聞いていないかったんですが、チョット調べてみました。 「左近の桜、右近の橘」からきているそうで、雛人形の桜橘を左右どちらに飾るかを示すものだそうです。
ちなみに京都御所の正殿「紫宸殿(ししんでん)」に習ったもので、
「紫宸殿(ししんでん)」といえば即位の礼などを行う場所です。
その紫宸殿の前に天皇から見て左(こちらからは向かって右です)に桜、右に橘が植えられていて、
「左近桜」「右近橘」と呼ぶそうです。
熊野若王子神社 お雛様
ひな壇に向かって左に男雛、右に女雛は関東雛といわれており、
その反対向かって右に男雛が京雛といわれているそうですが、
今は一番多く売られているのが関東雛なので、多くの人が左に男雛として認識しているようです。
京雛は太陽が先に当たるの側が上の位「左をもって尊し」とし、
よって向かって右に位の高いお方がお座りになるといい古来の風習によるものです。
但しこの若王子神社の「右近の橘」にその謂れからくるものかどうかは確認していません。
写真が少しボケていますが、この上に新島襄・八重のお墓があるそうです、 神主さんに聞くと歩いて20分程らしいので、天気もいいので健康のため見に行きます。 たかだか歩いて20分です。そんなものは朝飯前です!! それでは張り切って登ってきます。
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