東天王岡崎神社 京都16社朱印めぐり

東天王岡崎神社 京都16社朱印めぐり

京都16社朱印めぐり。東天王岡崎神社 12回目

東天王岡崎神社 うさぎ

東天王岡崎神社 京都16社朱印めぐり

貞観11年(869)、清和天皇の勅命により、
播磨国広峰より牛頭天王(速素盞鳴尊)などを勧請し、疫病や災厄の退散を祈願しました。迎え祀り悪疫の治まりを祈願したとされている神社です。
速素盞鳴尊(すさのおうのみこと)様は天照大神、月読尊(つくよみのみこと)とは兄弟だそうで、高天原で悪行の限りを尽くして天照大神より追放されます。

そして出雲の国へ降り、八俣大蛇から奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)を救う為、
十拳剣を振るい、姫を小さな櫛にして御髪に刺し、見事に退治。和歌の祖となる、
「八雲立つ出雲八重垣妻隠みに 八重垣つくるその八重垣を」とお詠みになった。

速素盞嗚尊は大蛇の腹から取り出した「草薙剣」を天照大御神に献上し、和魂の御光をこの世に現す厄除けの神となる。奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)を八岐大虵から守って草薙剣を得ます。

この辺りから心あらためて「いい神様」に転向していくのです。 

実は天照大神とか速素盞鳴尊(すさのおうのみこと)あまり詳しい話を知らなかったのですが、
このようないい加減な十六社お詣りしていても、少しですが頭に知識が入ってきました。

東天王岡崎神社 牛頭天王(ごずてんのう)

古い話を調べていくのも面白いですね。
2回ほど出雲大社にはお詣りしていましたが、写真がないので、今度桜の頃に訪れたいものです。

とういうことで、この東天王岡崎神社に12回目のお詣りをしました。入口がどこかわからず、ホテルの間の路地を行ったら突きあたりで、
そこが境内でした、バックするのもなんだし、そこに車を置いて、チャチャッとお詣りした次第で、
写真もそんなに取れませんでした、通路に置きぱなっしにした車が心配でした。御朱印も16社の朱印だけで済ましております。

ご祭神二柱が三女五男八柱神ものたくさんの御子神をもうけられ子宝に恵まれた霊験あらたかな子授け安産の神である。
また、往時境内を始め地域一帯が野うさぎの生息地で、多産なうさぎは古くから氏神様の神使いと伝えられる。
安産の神としての信仰は厚く、腹帯を持ち込み祈願するそうです。
これまでに腹帯だけでも御香宮、新熊野神社、わら天神、熊野神社などがありました。
ちなみに北海道には「おっぱい神社」があります。

速素盞鳴尊(すさのおうのみこと)様は牛頭天王(ごずてんのう)と習合して疫神としての神格を持っているそうです。
「牛頭天王」は八坂神社、かつての「祇園社」の祭神だそうですが、
この「牛頭天王」は色々な逸話が多く深く取り下げていくと面白いのかもしれませんね。

陽のいずる都の東(卯の方位)に鎮座する事から東天王と称し、東天王岡崎神社になったそうです。

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