北海道函館の五稜郭

函館 五稜郭
函館 五稜郭

五稜郭タワーがすぐに目につきます、平成18年に4月1日にオープンした高さ107mのタワーです。 このタワーから五稜郭の星形の眺望が見えると聞いていたのですが、そのような写真スポットを見つけられませんでした。展望台の2階に土方歳三のブロンズ像があります。

五稜郭タワーの料金と営業時間です

函館の五稜郭 函館奉行

さてきました、北海道函館の五稜郭です。ここは函館山に登った日に訪れました。
色々な施設があり、ちょっとした歴史ランドのような感じです。

五稜郭タワーより見た五稜郭の内部です 、「函館奉行」が見えます

下の建物は「函館奉行」です。

ペリーの黑船の来航から、アメリカにとって日本は捕鯨の寄港地、又は補給処にしたかったのです。

その頃のアメリカはクジラの油が重要な資源でした。鯨を追い回し、日本近海までクジラ漁に来ていました。

山本一力氏の「ジョン・マン」にも出てきますが、万次郎が船から海に転落して、漂流していたのを助けたのが、鯨漁船でした。この時代高知県沖にはよく来ていたようです、なので水及び食料の補給に日本は必要だったのですね。

話が横道にそれましたが、そのような時代背景の中で安政元年(1854年)にアメリカと「日米和親条約」を締結し、伊豆の下田と蝦夷地の函館を「開港場」として開きました。

 「開港場」になって、徳川幕府は外国との交渉、蝦夷地での防衛を担当する「函館奉行」が設置されたのです。この城郭は幕府の威厳、また防衛上の理由もあり、内陸の平坦地に近世ヨーロッパ特にフランスの軍人の情報・教授をもとにヨーロッパの城郭都市をモデルとしたようです。近代的な城壁にしたかったのでしょうね。 この星形要塞はイタリアで15世紀に発達した築城方式で、イタリア式築城術、稜堡式城郭(りょうほしきじょうかく)、ヴオーバン様式に分類され、オランダのブルタンク要塞、スペインのハカ城塞、ロシアのペトロパヴロフスク要塞などがあります。(ウイキペデイアから)

函館の五稜郭 土方歳三のブロン像

五稜郭タワーの展望台2階に土方歳三のブロン像があります。 ブロンズ像を見てもなかなかのイケメンですね、
この時代であれば高身長です、五尺五寸今でいうと167センチぐらいです、
その時代の平均身長が160センチ前後だったので、今なら180センチぐらいのイメージだったのでしょう。
高身長でイケメン、今でいうところのジャニーズ系ですね、
年もそんなには変わらないと思います。
当時の新選組は皆 身長が高かったようです、京都では結構女子にはモテていたようですよ、
沖田総司、斎藤一についてはかなりの高身長だったようで実際に180センチぐらいだったそうです。

この時代の小説は大好きですね、
私は北方謙三先生が好きで、初めのころのハードボイルド(かたゆでたまご)「秋ホテル」は良かったですね、
その後時代小説に移り変わると、「林蔵の貌」「黒龍の柩」など面白かった!

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