上御霊神社 京都16社朱印めぐり。ごりょうえさん

上御霊神社 京都16社朱印めぐり。
上御霊神社 京都16社朱印めぐり。

京都16社朱印めぐり。上御霊神社 10回目
ここは南門です、伏見城の四脚門を移築されたものと伝えられています。

794年(延暦13)崇道天皇を祀ったのが始まりだそうで、
なお境内の‘御霊の森’は応仁の乱の発端となった所です。
5月18日の祭日は鉾、神輿、御所車(牛車)の行列があります、
この辺だと静かに牛車など見学できそうです。

上御霊神社 狛犬

南門の前に獅子が一対です。

この南門の左右に鎮座した、
いかめしいお二方は、誰か?忘れました、ごめんなさい、今度行ったら調べときます。

上御霊神社 北野おどり

平安遷都にあたり延暦13年(794)桓武天皇さまが平安京の守り神として
崇道天皇(早良親王)の御神霊をおまつりされたのが当神社のおこりです。
当時天変地異や疫病の流行があいつぎ、
それは非運の中に亡くなられた高貴の人々のたたりであるとされ、
その人々の神霊をていちょうにおまつりすることによって、
わざわいをなくそうという御霊信仰が生まれました。
そしてそのおまつりを御霊会(ごりょうえ)といい、

京都の夏祭りの多くは御霊会ですが、

当神社の祭礼はその発祥であります。(御霊神社のHPより)

京都の夏まつりではよく”ごりょうえさん”と聞くことがありますが、
ここが御霊会の元祖だったのです。近くに上七軒もあり、
昔ながらの遊郭の風情と風習がよく残っている地域です。

この上七軒の街並みは短いですけど、
祇園の街並みとは異なった趣があります。
特に夕方にでも散歩がてら、食事に行くのは最高です。
なんとなく京都通になったように感じになりまっせ。

3月25日から4月8日までに「北野をどり」などを「みにいかはったらよろしいどすえ!」
京都弁?で記事にしました。

この本殿は昭和45年に復元されたものだそうです。

もう一つの狛犬です。

上御霊神社 安産祈願 

上御霊神社 お詣りの作法

もう一度、”おまいりの仕方”の方法です。ここはかわいらしく説明しています。
結構忘れてしまうもので、時々このような看板があるとなぜかほっこりするのは、
年のせいでしょうか!

上御霊神社 応仁の乱

この御霊神社が「応仁の乱」の発祥の地といわれています。
室町時代の応仁元年1467年から1478年まで続いた内乱です。
畠山政長が兵を率いてか御霊神社に陣を敷いて、
畠山義就軍と畠山政長軍が衝突したことが発端になったようです。
この戦いは夕方には畠山政長が神社に火をかけ、自害を装って逃走した。
考えてみれば争いの種とはあまりいいイメージではないですね。
そこは歴史上の有名な内乱ですから、ここから武家の時代に発展していく原因でもあるそうですよ。

将軍家の跡継ぎの問題ですね。この騒動で「山名家」と「細川家」が主導権争いをやったのですね。
羽柴秀吉と柴田勝家の争いのようなものですね、
後者は琵琶湖の北の山の上で争ったからいいものを、
この応仁の乱は京都の中心地で争ったから、町中大迷惑です。
10年間も続いたものですから、京都の町は荒れ果ててしまったそうです。

復興するのに復興税などを徴収したのでしょうか?
自分達で荒廃させて、いい加減な税金を勝手に徴収するのはいつの時代でも同じようですね。

上御霊神社 応仁の乱の石碑

境内の裏の方に駐車場がありますが、その横にお稲荷さんがありました。
ここで疑問があるのですが、
この京都16社参りに行くとかならずとお稲荷さんがあるのはなぜでしょうか。

上御霊神社 清明心の像

清明心の像です。
国際児童年(1979)にあたり生命の尊重と子供達の健やかな成長を祈り、
中国宋代の学者司馬温公の故事に拠って建立されました。
見どころのある像ですが、奥の方に追いやられているような感じでした、
あくまでもバチアタリもんの感想ですので気にしないでください。

上御霊神社 御朱印

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