岩国市の錦帯橋 世界遺産登録申請中

岩国市の錦帯橋 中国地方

吉川広家の岩国(3万石)

岩国市の錦帯橋

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、毛利家は西軍の大将でもあったにも関わらず、戦いに動かなかった、それは吉川広家の策略があったからです。確か南宮山に陣地を置いたと記憶しています、もう一人有名なのが安国寺恵瓊ですね。 また関ケ原の話は出てくると思うのでそれまでお預けです。

吉川広家は始めから西軍の負けを予想して、東軍(徳川家)に対して、「毛利家は中立を守り、動かない。だから毛利家の領国112万石はそのままにするようにと」密約を交わしていました。

予想通りに東軍の勝利になったのですが、戦いが終わった時点で徳川家康は、毛利輝元は西軍の総大将として連判状に名を連ねていたので、徳川家康は密約を反故にし、毛利家の断絶を決めたのです。

吉川広家が毛利家本家の存続のため奔走し、徳川家康は毛利家の断絶を改め周防国、長門国の二国を与えました。この時吉川広家も毛利輝元より岩国(3万石)を与えられました。  

慶長6年に吉川広家は岩国城の造営に手を付け、横山の山頂に城を築くことになり、そして錦川の対岸の錦見地区に中下級武士や町民の居住区を置くことにしました。岩国城から錦帯橋も見えます。

錦帯橋 長崎のメガネ橋を参考にした

藩の中心である岩国城に行くには、巾200mの錦川を渡る必要がありますが、たびたびの洪水で橋が流されていたのです。そこで洪水にも「流されない橋」を作ることが藩の悲願になっていたのです。

寛文12年に児玉兄弟を長崎に派遣して石造りアーチ橋(今のメガネ橋)を研究させたといわれています。寛文13年に建設が始まり、延宝元年(1673年)に「流されない橋」が完成しました。しかしこの橋は翌年には洪水によって流されてしまいます。それからもっと開発が進んでいきます。

橋脚は水流方向に尖った角をもつ紡錘形とし、水の抵抗を最小限にするなどの工夫がなされ、その開発途中にこの橋の特徴でもある、木造の橋の揺れを抑える鞍木(くらぎ)と助木(すけぎ)が考案されました。

橋の下から見ると木の組み方がよく見えます。どれが鞍木か助木かは確認しておりません、ごめんなさい!

延宝2年(1674年)の再建以来、276年間の流出することなく錦帯橋はあったのですが、昭和25年にキジア台風が岩国市を襲い、濁流にのまれ流出してしまいました。

流出された時点で、政府は錦帯橋復興に対する協力を要望する決議をしました。

文化財保護団体や山口県、建設省からの援助を受けての災害復旧工事となりましたが、やはり役所仕事です、「交通に役位だたない橋ならコンクリートの強い橋に変更すべき」といわれたのです。 岩国市の要望した原型での復旧は厳しい状況でしたが、地元の強い交渉のおかげで原型で復旧することになったそうです。コンクリートの味気ない橋になっていたら現在では誰も訪れることもなかったでしょう!

再建から約50年が経過した平成13年に「平成の架替(かけかへ)」が行われ、5橋の木造部分が架替られています。

令和元年12月2日より、国の名勝に指定されている山口県岩国市の「錦帯橋」で、平成16年以来となる安全性を保つための大規模な工事が始まりました。今月中旬には橋が作業用のシートに覆われ、全景が見られなくなります。来年の3月中旬までは橋の全景が見られなくなります。

木造の錦帯橋

木造の橋ですので整備が大事です。コンクリートの味気のない橋であれば、補修も頻繁に行われることはないのですが、この錦帯橋は地元住人達の思いがたくさん詰まっている橋です。 今後世界遺産に登録される可能性があると思いますが、たくさんの人に昔からの技術が詰まった橋を、一人でも多くの人に見てもらいたいと思っています。

橋の下から木造の組み方を見ます、この木造の組み方が特徴があるそうです。

下部のHPより技術を参考にしながら見てください。

なんとなくわかるような、わからないような、しっかり理解したら雑学としてチョット自慢できるかもしれませんよ。

橋の上から360度の景色を堪能して(私が訪れた日は雨模様だったのですが)、河原に降りてその木造の橋と橋げたの構造をまじかに見ることで、その歴史に触れることも旅の楽しみですね。

但し2020年の3月中旬までは見ることができませんが、そのあとは修復されたきれいな橋を見ることができます。(工事期間は2020年3月16日までとなっています)

錦帯橋 佐々木小次郎の銅像

この像は佐々木小次郎の銅像です、吉川英治先生の「宮本武蔵」に「先祖以来、岩国の住、姓は佐々木、名は小次郎といい、名は親からもらい、また、剣名を”巌流”とも呼ぶ人間は、かくいう私である・・」に出てくる、

岩国の住である、佐々木小次郎の銅像なのです。知らんかった!不明な点はあるそうですが、この辺は深く考えず、そのまま信じましょう。そうでないと旅が味気ない。

吉川英治先生の「宮本武蔵」に興味がある方は一度読んでみてください、結構長いので時間はかかります私は3分の一ほど読んで断念しましたが、時間があればもう一度読んでみたいと思います。

錦帯橋の詳しいことは岩国市のHPより見ることができます。

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