この記念聖堂はザビエルが去った後に神父トルレスが大内義隆の許可を得て、この地に日本最初のキリスト教会となり、日本最初のクリスマスのミサが行われたそうです。
昭和27年にザビエルが山口を訪れてから400年を記念して建てられましたが、平成3年に焼失しています。そして6年と7か月後の平成10年4月29日に新しくなりました。訪れたのは小雨が降る中だったので、写真が少し暗いのは勘弁してください、そこまで技術がないので!
ザビエルの白い銅像がやさしく迎えてくれています。
真っ白の教会に入っていきます、拝観料としてはありませんが、献金として100円支払います、駐車場も完備されているので、山口に来たらぜひ訪れてほしいところです。
ザビエルは1549年鹿児島に着いています、歴史での試験でも有名ですね。「いごよく伝来」として私は覚えました。
それから薩摩藩主の島津貴久より宣教師としての許可を得ることができま、そこから長崎の平戸に寄り、山口まで徒歩と船旅で訪れています、そこで大内義隆に会い、宣教許可を受け手厚い保護を受けています。この2か月間で約500名に洗礼を授けることができたそうです。
山口から豊後に移動して大友宗麟に会っていますが、ここで最高の待遇を受けたと記述が残っているそうです。
また後日私のチョット寄り道でも出てきますが、大友宗麟のおひざ元の臼杵で隠れキリシタンの遺跡が出てきます。臼杵の大仏のすぐ近くです。
安部龍太郎氏の「宗麟の海」を図書館から借りて読んでいましたが。そこにも解説(フィクション?)がありましたが、時期的にそんなに作り話ではないものと思い楽しく読ませていただきました。この時期は大友家と大内家の壮絶な勢力争いがあったようです。ザビエルは山口での布教もうまいこと進んでいたようですが、この騒乱に巻き込まれ命からがら別府の大友家まで逃げてきたと書いていてます。「宗麟の海」の本は2017年初本ですが、本当に面白かったです。
1階は伝来当時の様子を人形と図を見ながら拝観します。この中で2階にザビエルの指の骨があったそうですが、私は気づきませんでした。結構中は広く展示物も興味のものがたくさんありました。2階は礼拝堂になっています。青のステンドグラスが厳かな感じを醸し出しています。
タクシーの中高年のお客さんが大きな声で話をしていたので迷惑しましたが、一人になれば本当に静かな、厳かな雰囲気です。
そこで信者たちは山口から萩市紫福の山中に移り住むようになり、至福の時を待ちながらひっそりと生活をしたそうです。現在は「キリシタン祈念地 至福の里」として1999年に整備されています。詳細は萩市のHPをご覧ください。次に訪れたい場所です。
キリシタンの迫害で遠藤周作氏の「沈黙」がありますこれは映画にもなりました。
山口サビエル記念聖堂 隠れキリシタン
真っ白のマリア様
岩の中になり真っ白のマリア様が微笑んでくれます。
天気が良ければ紅葉の赤とマリア様の白のコントラストがきれいだったのでしょうが、残念です。駐車場のすぐ横に平和の鐘があり、これは誰でも自由に撞くことができます。日本の鐘と違い少し高い音ですね。個人的には日本の腹に響くような音が好きです。
亀山公園
記念聖堂とは逆の方向に階段があります、これを登っていくと亀山公園です。個々の毛利敬親(たかちか)の騎馬像があります。
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