山口県下関市 赤間神宮

山口県下関市 赤間神宮 中国地方

赤間神宮 勅願時(ちょくがんじ)

山口県下関市 赤間神宮

この赤間神社は貞観元年(859年)に阿弥陀寺として開かれ、文治元年(1185年)に壇ノ浦の戦いで入水した8歳の安徳天皇を祀る神社として、建久2年(1191年)に御影堂が建立され、建礼門院ゆかりの尼を奉仕させた、以降は勅願時(ちょくがんじ)として開かれました。

勅願時とは天皇の発願によって建てられた寺のことです。

 明治の神仏分離により阿弥陀寺は廃止になり、
神社として「天皇社」と改称。明治8年に赤間宮に改称され、
昭和15年に官幣大社に昇格し「赤間神宮」になりました。

官幣大社とは

官幣大社とは国家から幣帛(へいはく)神社や神棚に供える供物(お供え物)を支弁される神社のこと。 幣帛とは神様に奉献する供え物のことです。 官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社に分類される。但し伊勢神宮は「すべての神社の上にあり、社格のない特別な存在」とされています。このことは覚えておいても損はないでしょう。伊勢神宮は別格の扱いなのです。

 官幣大社は全国に63社あります。全国神社マップに官幣大社に関する情報があります。

赤間神宮 平清盛の娘・徳子と安徳天皇

文治元年(1185年)この壇ノ浦の戦いで平家は負けて滅亡します。
安徳天皇は平清盛の娘・徳子の子どもで、祖母(平清盛の妻)時子二位尼)に抱きかかられて、
安徳天皇わずか8歳でこの赤間神社の前の海に入水して命を絶つことになります。
安徳天皇は伊勢神宮を拝み念仏を称えたそうです。
ただ時子は生き延びて、京都大原の寂光院に移り住みます。寂光院もこのサイトにあるので、一度読んでみてください。 

赤間神宮 壇ノ浦の敗戦と平家終焉の地

この下の写真は「水天門」といいます。 壇ノ浦の敗戦が決まり、
時子(二位尼)に抱かれた安徳天皇が「尼ぜ、私をどこに連れて行こうとするのか」と問いかけて、
二位尼は「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられたが、
悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。
この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」といわれて入水します。
なんも言えぬと悲しい話ですね。

1957年にこの極楽浄土を竜宮城の門にイメージして作られたのが「水天門」です。 
実は参拝した時は6時30過ぎで真っ暗でした、御朱印帳はいただけませんでした。
この神社は平家の強い気(パワースポット)が貯まっているといわれています。
平家終焉の地といわれても過言ではない場所でもあるので、平家のパワーが充満しているのでしょう。

赤間神宮 狛犬

赤間神宮の狛犬です。 ここでおさらいです、狛犬は一対が基本です、
「阿形」(口が開いている、雄を表す)神殿に向かって右側 「吽形」(口は閉じている、雌を表す)神殿に向かって左側  但し赤間神宮では狛犬でなく「獅子」になっているので、その辺も注意してください。
もともとは「狛犬」も「獅子」も同じだったのですが、
このように分離したのは日本文化の特徴といわれています。

  城にもしゃちほこにも「阿形」「吽形」がありますが、姫路城では両方とも雌の鯱になっていましたね。

源義経が探していた三種の神器の一つ八咫鏡

第八十代安徳天皇とともに沈んだとされる「八咫鏡」が岡山県で発見され赤間神宮に奉陳され、
第10代崇神天皇から安徳天皇までの「八咫鏡」が赤間神宮に納められているそうです。 
三種の神器とは「八咫鏡」「草薙剣(クサナギノケン)」「八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)」
「八咫鏡」とは天照大神が天の岩戸のこもった時の奉ったといわれる鏡。
「草薙剣」とは須佐之男命(スサノオノミコト)が出雲の国で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したといわれる剣 「八尺瓊勾玉」とは八尺(現在では約180cm緒(ひも)も含む)の瓊(メノウ)でCの字型に加工されたものです。アクセサリーですね。
ただ天皇家におけるものですので、私らが購入する安物ではありません、
価値が全く違うものです。  三種の神器は色々な諸説も多いのですが、今でも天皇家の行事においては使用されていですます。

赤間神宮 耳なし芳一と小泉八雲

これも外せない話ですが、皆さんもご存じの「耳なし芳一」の祠です。 あまりにも真っ暗ですが、見えますかね。 小さいころよく聞いた話です、私の田舎に1件だけあった映画館で怪談の映画をよく見ました。
怖かったですね、この「耳なし芳一」はよく覚えています。その映画館はある大雪が降った晩に屋根が壊れてつぶれてしまいました。

墓地の真ん中を一人、琵琶をもってうずくまっている芳一の廻りを、亡霊が甲冑を「ガシャガシャ」と音を立て、ザンバラ髪、真っ赤な口は耳まで避け、「芳一、芳一」と呼ぶ声があたりをこだまする。そこにひかり輝いている耳を見つけて、その耳を手でちぎって、墓の中に帰っていく。
安徳天皇と一緒に最後を戦った平家の亡霊ですね、昔のことなので実際にどんな戦いだったのかは推測にすぎませんが、現代では口に出せないほどの残酷だったものと思われます。

だから死んだのちにも成仏できずに、この世をさまよっていたのです。
何とも恐ろしい映画でした、おっしこちびりそうでした、もとい少しちびった記憶があります。

 怖かった!

小泉八雲の「怪談」の一部です。小泉八雲も熊本の三角西港でも登場します、又気が向いたら読んでください。 赤間神宮のHPです。夜にドタバタとお詣りしましたが、本当は由緒ある神社なのでゆっくりとお詣りするもんでしょうね。 

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