世界遺産 富岡製糸場と絹産業遺産群

世界遺産 富岡製糸場と絹産業遺産群
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世界遺産 富岡製糸場と絹産業遺産群
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正式には、「富岡製糸場と絹産業遺産群」です。国道254線を下仁田を通り佐久を抜けて帰る途中でした。時刻は15時ごろ。国道沿いに富岡製糸場の看板が見えたので、何気なく覗いてみようかな思い、寄り道です。

富岡製糸場 明治維新後、富国強兵

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は明治維新後、富国強兵を目指した政府は、外貨獲得のため、生糸の品質改善・生産向上を急ぎますが、民間資本での工場建設が困難であったため、洋式の工場を官民の模範工場として作ることになりました。

(世界遺産 富加製糸場のHPより)

幸い、私の前を団体客がいてガイドさんが説明をしています。少し後ろから説明の声がこぼれていたのでそれを拾いながらブラブラ!でも今はそれもできない、ガイドが日本語、中国語、韓国語等々????。

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富岡製糸場はフランス人のポール・ブリュナ氏の計画書を元に明治4年(1871年)から始まり1872年の10月4日には操業が開始されました。その当時としては驚異的な速さだったでしょう。

但しこの人の年棒が9000円だったそうで、その当時の一般的な職工が年収が74円と比べると、
飛んでもない年棒だったのです。1874年に伊藤博文が契約の中途解約を進言し、1876年にフランスに帰国しています。

富岡製糸場 女工哀史 「ああ 野麦峠」

この工場は昔と変わらぬ姿で残っているそうです。
この富岡製糸場で働いている女の人(ほとんど女性だったそうです)まだ恵まれているのかと思いました。
女工哀史 「ああ 野麦峠」で出てくる女工の話は悲惨でしたが、この富岡製糸場でそのような感じはなかった。
それどころか 和田英さんのような女性が出てきて、女性の未来像が想像されます。
とりあえず世界遺産の前の「富岡製糸場」に行ってきたことがわかればいいかと思いパパツと廻りました。
一生懸命世界遺産登録に頑張っている人に対してごめんなさい!!こんないいかげんな旅ブログで申し訳ありません。 詳しくは下記の「富岡製糸場」のHPをご覧ください。 奥さんに絹のスカーフを買いました。そんなに高くはなかったのですが淡い紫でいい絹製品でした。 たまに奥さん孝行をしないと家に帰ったら、表札が変わっていたとならないように用心しています。

世界遺産「富岡製糸場」HP

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