長岡天満宮 京都十六社朱印めぐり

長岡天満宮 京都十六社朱印めぐり 近畿地方
長岡天満宮 京都十六社朱印めぐり

今回は京都十六社の第6回目の長岡天満宮です。
京都市内から171号線を南下し長岡京市の中心部に位置します。昔は十万坪あったそうですが、
現在は明治維新の変革に際し2万坪に減らされたそうです。
それでも2万坪ですのかなり広い神社です。

長岡天満宮 加賀百万石の前田 寄贈の石橋

神社の周りには八条ヶ池があり、この池の周りには写真のような石の橋があります。
散策する人たちの休憩場所になっていて、キリシマツツジが4月の満開には多くの人を楽しましてくれるそうです。
4月ごろキリシマツツジを見ながら散策するにはいいところだと思いますよ、
又ここは観光客がそんなに多くないので穴場ではないでしょうか。

ここに見える石の太鼓橋は加賀百万石の当主の前田様の寄贈だといわれています。
錦水亭別館秀山閣が見えます、一度食事に行ったことがありますが、ここは京都らしい懐石を楽しむことができます、市内から離れているので落ち着いたいい雰囲気ですが、値段はそこそこしますがもう一度行きたい料亭です。昼ご飯は4000円ほどです。

長岡天満宮 キリシマツツジと花しょうぶ

石橋の近くには、花しょうぶの花壇がありました結構敷地が大きいので花しょうぶの季節にもいいかもしれませんね。季節は6月頃なのでキリシマツツジとは時期が異なるようです。

長岡天満宮 石の大鳥居

参道から正面大鳥居を望みます。

正面大鳥居です。 平成14 年の菅公御神忌1100年大萬燈祭を奉賛して、平成10年10月に奉納 された、近隣でも数少ない石の大鳥居です。総高9.75m、笠木 12m、総重量50トンにもなります。立派なもんです!

長岡天満宮 朱塗りの本殿

本殿は昭和16年に京都平安神宮の社殿を拝領移築したもので、
平成10年に既存の素木の拝殿を朱塗りにし増改築したもの、
漆なんでしょか?まだ漆の香りが漂ってきそうな本殿でした。

長岡天満宮 菅原道真公と白牛

この長岡天満宮は、菅原道真公が太宰府へ左遷された時、この地にお立ち寄りになり
「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた縁故によって、
公御自作の木像をお祀りしたのが当神社の創立だそうです。
「菅公聖蹟二十五拝」の中では第5番目になります。ちなみに第四番目は吉祥院天満宮です。

ご元服の当夜、白牛が角をくじいて死ぬ悪夢を見られ、
たいそう気にされて自ら牛を画き、 お酒を供えてご尊拝せられたということです。
悪夢障害ですね。

菅原道真公には飛梅がも有名ですが、
実はこの牛にちなんだ有名な話があるそうです。
これも長岡天満宮のHPからに引用ですが。
菅公が太宰府にご左遷の御時、道明寺から、こもやの里まで落ちゆかれる途中、
時平の命を受けた笠原宿禰等が後を追って切りかかり、お命危うく見えたとき、
松原の中から荒れ狂った白牛が飛び出て、笠原宿禰の腹を突き刺しました。
よくご覧になると公が都でご愛育になった牛でありました。
公は「都にて流罪 極る前夜、不思議に 逃げ去って姿を隠し、
度々に凶非を告げ、今また此の危難を助けし忠義の牛、筑紫ま で伴わん」と涙を流 してお喜びになりました。

これにより牛にお乗りになって、御心安らかに旅立たれた のであります。
そしてこの太宰府の地においてひたすらに謹慎の意を表されておりましたが、
延喜3年( 903)2月25日の丑の日に薨去(こうきょ)されました。
由来、全国の天満宮には牛の像が数多く奉納されているのであります。

薨去(こうきょ)とは親王又は三位以上の人が死ぬことで、ただ頭をなでるだけでなく、
このようないわれを聞くと賢くなったような気がします。
なので、天満宮といわれる神社には牛が奉納されているそうです。吉祥院天満宮にも牛の像があったらしいのですが見落としています。
天満さんに行くときには梅と牛を探すようにすると又いい思い出になると思います。 

長岡天満宮 狛犬

長岡天満宮 飛梅

季節的に小さな固い梅がありましたがところどころ小さくピンクの花びらを広げていました。
牛さんと一緒に「飛梅伝説」も有名ですよね。

”東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ”

と歌を詠まれると、後にその梅が 配所太宰府の菅公のもとに飛んできました。
これが「飛梅伝説」です。どこから飛んできたかというと、京都の邸宅だったそうですが。
北菅大臣(きたかんだいじん)神社(京都市下京区仏光寺通新町西入北側菅大臣町)だそうです。

紅葉庭園「錦景苑」です。


平成19年に境内に完成した紅葉庭園だそうです。今日は言葉通りの枯山水のようでした。

長岡天満宮 稲荷神社

余談ですが、ここにもお稲荷さんがありました。

長岡天満宮 御朱印

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