
丸岡城 振媛一族の石棺
気になったのがこの石棺です。牛ケ島石棺です、丸岡町牛ヶ島地区の白山神社近くの御野山 古墳から出土したとされている、くり抜式舟形石棺です。
かつてつてこの地を治めていた振媛一族の石棺ともいわれています。ここで”振媛一族”とはなんぞや??
容姿端麗で聞こえた振姫(ふるひめ)玉の輿
高向神社のHPより。
「高向の宮殿」にある史跡から武内宿禰(たけうちのすくね)六世の孫高向氏が統治した高向の郷、
継体天皇の母振媛命が継体天皇を育てた宮の跡だそうです。
振媛とは5世紀の中ごろ近江国高島郡三尾に住んでいた彦主人王(ひこうしおう)は、
丸岡城の付近より容姿端麗で聞こえた振姫(ふるひめ)を妃として迎えたそうです。
彦主人王がなくなり失意の内に故郷丸岡に帰り、育児に専念した結果、その子供が男大迹迹王(おおどおう)、
後の大和朝廷の第26代継体天皇になります。ですからこの丸岡町は天皇家に由来する地域なのです。
容姿端麗で、玉の輿に乗り、その子供が天皇になったといわれているそうで、こんな素晴らしい玉の輿スポットはありません!ですので私なりに考えると、玉の輿に乗りたい人はこの丸岡町に来た方がいいと思います。
また「玉の輿」の元祖はこちらからどうぞ。
一筆啓上 火の用心 お仙なかすな馬肥やせ

写真に見えるのが一筆啓上茶屋です。
この前が無料の駐車場です、ここから丸岡城に登っていくのですが。
ここで初めて「一筆啓上 火の用心 お仙なかすな馬肥やせ」で知られる日本一短い手紙の発祥地であったことを知りました。
バチアタリもんの短い手紙
一筆啓上の茶屋の後ろにある日本庭園です。きれいに手入れされていて、あちこちに碑がありました。そこのところは興味がなかったので飛ばしました。
すみません偉そうに言って誠に申し訳ありません。
それとすごい勘違いをしていました。
実は「日本一短い手紙の館」はすぐ近くにあります。
ここの館では近年短い手紙を募集していて、その手紙が展示されています。
私も一つ短い手紙があります。
子どもから 「かねない」の4文字です。
どうですかかなり短いでしょう。それも手紙でなくショートメールでした。
親としたら「かねない」だけでなく近況の一言でもあればかわいいもの、たった4文字で済ませようとする魂胆が許せない。
一体親を何だと思っているのか!今までの恩を忘れやがって!人としてあるまじき手紙だ!馬鹿垂れ!あー、あー腹が立つ!
覚えておれ、今に俺のおむつを交換させてやるからな!
と言って銀行に行く私が情けない。
以上 終わり、終わり、・・・
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