福島県 飯盛山 白虎隊十九士の墓

福島県 飯盛山 白虎隊十九士の墓
福島県 飯盛山 白虎隊十九士の墓

最初に見えるこの長い坂を登るのか???、大丈夫か??山上まで183段あります、不安になりますね、でも大丈夫です。
この横に「動く坂道」スロープコンベアがあります、大人250円を払えば、山上まで楽に行けますよ。

飯盛山 183段の階段あります

しかし、私は老体に鞭打ってこの階段を颯爽と駆け上りました。てなことは嘘でして、颯爽とは言えず、どちらかといえばヨタヨタと登っていきました。これで250円儲けたと思い登りましたが、250円ならば乗ればよかったと後で反省しております。  飯盛山の飯盛分店の横にある案内図の看板です。

白虎隊十九士の墓

「玄武隊」「青龍隊」「朱雀隊」「白虎隊」

慶応4年(1868年)鳥羽伏見の戦に敗れた敗因を元に、
年齢と身分によって「玄武隊」「青龍隊」「朱雀隊」「白虎隊」の四つの部隊が編成されました。「白虎隊」は総勢343名、その中の士中2番隊37名が戸の口原の戦いで敗走し飯盛山に逃げましたが、うち17名は無事に入城しています。残る20名がこの飯盛山で鶴ヶ城の周辺の武家屋敷が炎上しているのをみて城が落ちたものと錯覚して、この地で自刃した場所です。但し一人飯沼少年が生き残ったので、19士の墓になります。

潔く死を選んだ19士でしたが、明治政府はその遺骸に手を付けることを許さず、そのまま放置されていたのです。3か月間も放置されていたので、近隣の村人・吉田伊惣次らの手により、付近の寺にひそかに仮埋葬されたました。ばれたら死罪になっていたかもしれないのですが、かなり悲惨な状況だったのでしょう。やっと明治2年に、その時の墓が正式に整備されて、それから大正15年に今の形になったそうです。(会津物語のHPより)

この墓は鶴ヶ城のほうを向いて立っています。

飯盛山から鶴ヶ城

白虎隊がお城のほうを見ている像があります、

会津藩の婦女子230名の慰霊

またここには白虎隊だけでなく、
会津藩の婦女子230名の慰霊も建立されています。この下のほうに見える墓のほうから鶴ヶ城を望んだといわれています。私も鶴ヶ城のほうを見たのですが、かなり遠いので、
煙が上がっていれば落城したと錯覚しても仕方がないと思いました。
それでも16歳ぐらいの子どもがなぜ死を選ばなければならなったのか、自刃したのは勇気または狂気ですかね。


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