明智光秀“最期の城”

明智光秀“最期の城”
明智光秀“最期の城”

勝竜寺 新婚時代のガラシャ夫人

これが「ガラちゃん」です。おっとこれは失礼「ガラシャ夫人」と夫の細川藤孝の像です。

勝竜寺 16歳で輿入れ

天正6年(1578)光秀の三女玉(たま)(後の細川がラシャ)が16歳で長男の忠興のもとに輿入れしたお城です。
今年は「麒麟がくる」で一躍有名になった明智光秀の娘です。

長岡京市には光明寺の「もみじ参道」、長岡天満宮の霧島つつじ、揚谷寺(ようこく)のアジサイ、乙訓(おとくに)寺、のボタン、長法寺の「朧の泉」などの花寺があり、季節ごとに異なる花を満喫できるところです。

京都からそんなに離れていないので、少し足を延ばして季節の花を満喫してはどうでしょうか。

京都のお寺は基本いつでもきれいなところがたくさんあり、光明寺、長岡天満宮、揚谷寺は秋の紅葉も最高ですよ。

勝竜寺 寧波市(ねいはし)からの友好都市記念碑

前回訪れた時にこの像の意味が分からなかったので、再度訪れました。
この像は中国の寧波市(ねいはし)からの友好都市記念碑でした。
これで胸のつかえがとれました。

何で送られたのかは?これは不問にします。チョット寄り道ですので深いことは聞かない。

勝竜寺 桜の名勝

阪急の長岡天神駅が近いので自転車を借りてのんびりと廻るといいですね、と言いながら今日は車で来ました。
 そして上記のお寺にはお詣りはしていません。

心なしか、橋がきれいになったように感じます。それにガラシャ夫人の石塔もなかったのでは??勝竜寺城公園は1992年に公園として整備されました。

ここは近くの人たちの憩いの場所です。近隣の子どもたちが走りまくっていました。元気のいいことで、小生も少し走ろうとしたのですが、いかんせん足腰が!!!ので眺めるだけにします。

老夫婦が互いに背中を向けて座っています何を話しているのでしょうか
奥さんの背中には長い年月の苦労がにじみ出ているようです。
これを見て何を思うかはそれぞれぞの勝手です。
これ以上書くとやばいのでやめます、バチアタリもんの独り言が???

明智光秀“最期の城” 勝竜寺城の石垣

このような石垣があったとは。そんなに大きくないのですが、やはりチョット寄り道ですね。いい加減です!

歴史の中の石垣です、ふと500年前の時代のことが頭によぎり、何を食べていたのだろうか、「天下一品」も「餃子の王将」もなかったはずです、そのようなつまらんことを考えました。
やはり桜の名勝といわれるようにお城の石垣に並んで咲いている桜が見事です。

勝竜寺 明智家の滅亡

夫妻の銅像ですが。この勝竜寺は本能寺の変の後、豊臣秀吉と明智光秀の「山崎の戦」で拠点になったお城です。山崎の戦で敗れここから居城である坂本城に逃走する途中で京都の小栗栖で落ち武者狩りにあい殺害されました。ちなみに小栗栖とは「醍醐寺」の近くです。

こうしてガラシャ夫人は坂道を転がるように絶頂期の幸せからどん底に落ちたのです。
何ともはかない、歴史を考えさせるお城です。ガラシャ夫人の詳しい話はまた後で。

その点小生は大丈夫です、「登ってもないの下り坂、登ってないので転げ落ちるほど高低差がない!」

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